不惑を迎える
1982年5月1日12時25分から40年。毎年、誕生日には黒澤明の「生きる」を見る。
男性の平均寿命は81.64歳、ちょうど折り返したところだ。ここ一年は瞑想のトレーニングを積みながら、幸福について考えていた。幸福はセロトニンやドーパミン、オキシトシンによる体反応で、遺伝によって上限と下限が決められている。
人は不幸から回復するためのレジリエンスの副作用によって、幸福にも慣れてしまうようにできている。とどのつまり、幸福は人を幸福にしない。○人鬼も聖者も凡人も知っている。感情の正体は体反応で、瞑想によって俯瞰するしかない。
エポックメイキング過ぎやしませんか。人がある程度までの不幸に耐えられるのなら、ツァラトゥストラが困難の中に意義を見つけていたのも、コヘレトやマルクス・アウレリウスが「すべては空しい」と言っていたのも分かる気がする。
人生の焼かれるような不幸も過ぎ去れば「宝」であることを、私は知っている。そして(死なないかぎり)いずれそれを「利用する」知恵も得られることを知っている。何もしない幸福な人生より不幸や屈辱に満ちた人生のほうが豊かであることを知っている。『哲学者とは何か』
— 中島義道 bot (@yoshimichi_bot) 2021年8月23日
誕生日プレゼントは以前から欲しかったラミーのアルスターという万年筆を、悩みに悩んで買いました。ペン先が紙を引っ掻く感触や、インクの濃淡、すごく良いです。運動・瞑想・睡眠・お香・万年筆、私が一番欲しかったものは時間です。
昨年の様子は下記。